『交流:既知と未知を超えて』序文より転載

東 京 大 学 名 誉 教 授   .
帝 京 大 学 文学部 心理学科 教 授
古 畑  和 孝 ( ワ コ ウ )

『 は し が き 』

 本書はミクシィにおけるワコウの日記、ならびに、それへのコメントおよびレスポンスを編集し、印刷に付したものである。本書に掲載したのは、ミクシィヘの入会の日から、昨年の大晦日までの1年1ケ月分である。  その刊行は大要次のような経緯によっている。一昨年12月初頭、突然ある学生から、卒論のデータをSNS(Socia1 Networking Service)からとってもよいかとの質問を受けた。その時点で、実は私はその存在をよくは知らなかった。知らずして、いいとも悪いとも言えるはずがない。そこで、その学生を紹介者としてミクシィに入会した。入会はしたものの、当初は殆ど日記を書くこともなく、書いたとしてもせいぜい数行であった。ところが、ミクシィに慣れるにつれ、少しずつ書くようになり出した。自分でも思ってもいなかったことだった。それに伴って、日記を御覧下さる方が出始め、少しはコメントをいただく場合も出てきた。コメントまではいかなくても、アクセスしてくださる方も増えてきた。また、マイミクシィにと申し出られる方も現れてくるようになった。ごく表面的な、日常雑記や、趣味のことなどに触れる程度であったのが、次第に、自らの貧しい思索と行動を記す場合も出てきた。そうこうするうち、何人かのマイミクシィの方々から、印刷に付して欲しいとの声が上がるようになってきた。はじめのうちは、ミクシィ上で見られればそれでよいと思っていたのだったが、結局それらを踏まえて、印刷に付す決断に至ったものである。

    古 畑 氏 著 作    古 畑 氏 著 作

 ミクシィの発展は驚異的であるようだ。いろいろな機能が多くの人々を惹きつけて止まないのであろう。私の場合は、その無数にあるコミュニティの1,2にごく名目的に所属するだけである。専ら、日記のみの利用者であるに過ぎない。だが日記が普通個人的なことであるのに対し、ここでの日記は既知・未知を超えて、もっと対人的な交流の場ともなっている。この貧しい日記が、多少なりとも、21世紀におけるひとつの新たなコミュニケーションのあり方に関して、一石を投じるものとなれば幸いである。また、辱知の方々には、近況報告の一端ともなればと願っている。  賛同してくださったマイミクシィの方々に感謝する。また、こういう形での出版に対して、応諾してくださったミクシィ事務局に謝意を表するものである。

2007年1月1日年頭に当たり     ワコウこと 古畑 和孝

この『交流』は少部数の出版でしたので、
配布先は限られていますが、残部が多少
ある模様ですので、関心のある紫水会員
の方は、直接 古畑君にお申出ください。