プロジェクトX・挑戦者たち   「東洋一の巨大ホテル 不夜城作戦に挑む」  5月17日(火) 午後9・15〜10・00
約2千棟もの超高層ビルが乱立する日本。40階建ての建物を僅か24か月余りで完成させる驚異の技術力を誇る。昭和38年、その原点となる巨大工事が始まった。「ホテルニューオータニ」。地上17階・1000室、東洋一を誇るホテル建設。実は、東京五輪成功のため、何と、僅か17か月間で設計・施工を総て終えた空前の突貫工事だった。
昭和35年、東京。敗戦後続いた一面の焼け野原は、大きく姿を変えつつあった。経済活動の基盤となるオフィスビルが次々建設。その現場に、名うての現場監督がいた。大成建設の技術者・竹波正洪、当時40歳。鋭い頭の切れで「カミソリ」とあだなされた竹波、だがこの時、大きな悩みがあった。工事は、建設用地の条件や天候に大きく左右され、期限通りに進まない。更に、「夫婦ゲンカした職人の仕事には気をつけろ」と言われるほど、建物の出来は職人の腕一つに頼り切り。施工ミスを見逃せば、完成後も工事が続く状態に陥っていた。「人力頼みの現場では都市は築けない」。天を仰ぐばかりだった。
 昭和38年3月、そんな竹波に、どでかい仕事が舞い込んだ。「1000室の巨大ホテルを17か月で建ててくれ」。当時、東京は戦後最大のイベント・オリンピック開催に沸いていたが、1日3万人と予想された海外からの来訪者が宿泊できる施設は圧倒的に不足。都知事の依頼に、東京・紀尾井町に広大な土地を持つ企業家・大谷米太郎(当時「大谷重工業」社長)が、畑違いのホテル建設に乗り出したのである。
 現場工事の総責任者となった竹波は、チャンスと思った。「この工事は、建築界の革命になる」。全国から社内の精鋭技術者200人を集め、工場生産で造った部材を現場で組む前代未聞の「プレハブ工法」に打って出た。設計図もない中、土台の基礎工事が始まった現場。竹波は、そこに、コンクリートを流し込まず建物の骨格を造る「鉄骨柔構造」を採用。更に、壁もアルミ板をカーテンのように吊り下げる「カーテンウオール方式」を採用した。加えて、長時間の現場工事を要する風呂場の水回りには、世界初の「ユニットバス」を考案。プロジェクトは一気呵成(かせい)に進んだ。

 しかし、昭和38年暮れ、工事が従来の高さ10階を越えたころから現場に異変が起きた。前代未聞の高さに高所作業は遅れるばかり。更に、施主の大谷米太郎が竹波たちに、世界一の大きさ、直径45m巨大回転ラウンジ建設を要請。絶体絶命のピンチとなった。
 その時、カミソリと呼ばれたリーダー・竹波の破天荒な作戦が炸裂(さくれつ)。更に、回転ラウンジには、あの戦艦大和建造に関わった製鉄メーカーの男たちが立ち上がった。
 「ホテルニューオータニ」の建築技術は、その後、日本の超高層ビルにことごとく使われた。番組は、そのパイオニアとなった人々を取材。知恵と体力の限りを尽くし、未知の建築に挑んだ17か月間の熱いドラマを伝える。

[番組ホームページ]  http://www.nhk.or.jp/projectx/  より